芸人としてだけで無く、映画監督としても世界に名を轟かせているビートたけし。
そんなビートたけしの若い頃が『色気ムンムンの超絶イケメン』だとネット上で話題になっています!!
どうやら、そのイケメンぶりには『おぼっちゃま系イケメン時代』と『狂気染みた色気をまとったイケメン時代』と年齢ごとに変化するというのです!!
今回は、そんなビートたけしの『イケメンぶり』と凄惨な交通事故を境に『容姿が激変した事』についても徹底的にお伝えしたいと思います!!
では、今回も張り切って見て行きましょう!!
目次
ビートたけしのプロフィール・学歴
本名:北野武
生年月日:1947年1月18日
血液型:O型
出身地:東京都足立区
ビートたけしについて調査して行く中で、驚きなのは『学歴』だと言います!
というのも、ビートたけしは母親の勧めで『明治大学工学部機械工学科』に入学しました。偏差値が58で、それなりの学力が必要な事が分かります。
どうやら、高校3年の夏休みに1日12時間の猛勉強をしていたようで1度決めた目標に関して、やり抜く力が備わっていたようです!!
ですが晴れて大学に入学したビートたけしは入学後、大学にはあまり通わずにジャズ喫茶やクラブのボーイ、解体工のアルバイトに明け暮れる日々を送っていたようです。
大学に雰囲気にあまり馴染めずに自分の好きな事だけをしていた結果、明治大学を最終的には除籍になったようです・・・・・・・・(笑)勿体ないですね・・・・・・・・(笑)
その後、26歳でお笑いコンビ『ツービート』を組み芸能界のスター街道をひた走る事になりました!!
そんなビートたけしですが、若い頃がイケメン過ぎてヤバいとネット上で絶えず騒がれています。そのイケメンぶりが年齢によって変化するとも言われており、年齢を増すごとに『狂気染みた色気』すら感じると言われています。
そのイケメン遍歴を詳しく紐解いていきたいと思います!
ビートたけしの若い頃の色気がヤバい!
ビートたけしのイケメンぶりは、大きく分けて『おぼっちゃま系イケメン時代』と『狂気染みた色気をまとったイケメン時代』がある事が判明しました!
現在からは想像がつかない可愛らしいビートたけしの姿を、まずは見て行きましょう!!
ビートたけしのおぼっちゃま系イケメン時代!
上の写真が、お笑いコンビ『ツービート』を結成し活躍していた時代のビートたけしだと言います!
どうでしょうか!?現在のビートたけしの面影はありますが、かなりのイケメンである事は確定では無いでしょうか?
髪型が完全に『おぼっちゃま系』であると感じます。どちらかと言えば、可愛い系であると筆者が感じます!!どうやら、当時ファンの女性たちからも『可愛い!!』という声が多かったようです。
なかなか意外なのは、ビートたけしが芸人になる前は女性にモテなかった事です。とても純粋で7年間も付き合った女性がいたそうですが、芸人になるという決意を伝えると振られたと言います。
付き合っていた当時は、アルバイト先のクラブの踊り子に誘惑されても純愛を貫いていたようで『浮気をしなかった』そうです!!
ですが、その女性と別れ芸人として成功を手にした事で『金遣いと女癖の悪さが爆発』したと当時を振り返り、ビートたけしが語っていました。
以下に、『おぼっちゃま系イケメン時代のビートたけし』の写真を載せておきます!!
芸人としてブレイクした事で『金遣いと女癖の悪さが爆発』以外にも、ビートたけしの中で爆発したのは『狂気染みた色気』であると筆者は感じます!!
ビートたけしはツービートとしての仕事以外に、34歳になる頃にはピンでの仕事が増えたと言います。そして、『たけし軍団』を組み、冠番組を持つまでになりました。
『たけし軍団』を率いる様になった辺りから、ビートたけしの『イケメンぶり』が次のステージに進んだと言います!!それが『狂気染みた色気をまとったイケメン時代』です。
その詳細について見て行きましょう!!
ビートたけしの狂気染みた色気!~フライデー襲撃事件~
ビートたけしの若い頃を語る上で外せないのは『フライデー襲撃事件』です!!
当時、マスメディアに激震が走りました。この事件の概要は、1986年12月9日にビートたけしを含めた『たけし軍団』の12人が週刊誌『フライデー』の編集部を襲撃した事を指します。
当時ビートたけしが交際していた専門学校生の女性に対し、フライデーが執拗な取材をしテープレコーダーを顔に突き付けたり手を掴んで引っ張るなどし、頸部捻挫・腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせた事が発端でおこりました。
裁判の結果、ビートたけしは懲役6か月(執行猶予2年)の実刑判決を受け芸能活動も自粛し表舞台から姿を消しました。
当時、事件を受け釈明会見に臨んだビートたけしが『狂気染みた色気をまとったイケメン時代』と言われています。
元々、チック症状を持っていたビートたけしの行動も、鬼気迫る雰囲気に拍車をかけている事が分かります・・・・・・。
ビートたけしは当時39歳でしたが、あまりの大御所ぶりに筆者は度肝抜かれました!!どんな人生を歩めば、あの雰囲気と色気をまとえるのか不思議に感じてしまいました・・・・・・・。
起こした事件に関しては、完全に違法でありますが・・・・・・言葉に説得力と不思議な色気を感じてしまいます。男でも色気に惚れてしまう程だと感じます・・・・・・・。この狂気な色気に世の女性も魅了された事でしょう!!
当時のビートたけしの姿を幾つか写真で振り返ってみたいと思います!!とにかく色気の塊でしかありません・・・・・・(笑)
ビートたけしのイケメンぶりは、世間の声からも伝わっていきます!!
たけしくんハイ!
観てたら、
ビートたけしの若い頃って
こんなカッコよかったっけ??タケちゃんマンの頃よね?? pic.twitter.com/z3sxtvyiXy
— なおぷら (@naokiplanet) February 19, 2019
ねぇ、クソイケメンすぎてヤバイんだが。 https://t.co/4Eh1Vjn2LP
— ノ♡♡ノ (@iprismmxh) July 21, 2019
ビートたけしの若い頃の恋愛事情が草食過ぎて草WWWW
ビートたけしの若い頃の恋愛事情について調査してみると、上記で記載した彼女以外とは交際していなかった可能性が浮上しました!!お笑い芸人として、成功するまでは『至極、真面目な青年』だったと考えられます!!
7年付き合った彼女とも、会う度に喫茶店でお茶をする程度だったと言い、相当初々しい付き合いをしていたとビートたけし自身が語っています!!奥手で、現代で言う所の『草食系男子』だったのかもしれませんね!!
上記記載した様に、ビートたけし自身が『成功』を手にした事で『女性関係に関して爆発』したというのは本当なのかもしれません!!
ビートたけしの根本には『真面目さ』が根付いていると考えられます!!それは、『母親』の存在が大きかったと考えられます!!
ビートたけしを精神的に支えてるのは『亡き母親』!!ビートたけしを思う気持ちに感涙!?
ビートたけしの生まれは東京足立区の下町でした。ビートたけしの母親である『北野さき』は、とんでもなく教育熱心で、ビートたけしは幼少期から勉強漬けの日々だったと言います!!
北野さきは、ビートたけしに対して『これからは高度経済成長期だから理工系の道に進め!』と言い、明治大学工学部に入学したようです!!
そんなビートたけしですが、大学入学後は20日程度しか通わず・・・新宿のジャズ喫茶でボーイのアルバイトをしてノラリクラリ生活をしていたようです・・・。そして、大学2年生になる頃に北野さきに『退学の意向』を伝えると号泣し『2度と帰ってくるな!!』と勘当されたようです・・・。
それも、その筈で・・・北野さきは昼夜問わず働き続け、息子を大学に通わせたと言います!!手塩にかけて育てた息子から想定外の行動に落胆した事でしょう・・・。
ですが、北野さきはビートたけしを見捨てたわけではありませんでした・・・勘当した後も、ビートたけしは明治大学に籍があったようで除籍になるまでの6年間、北野さきは授業料を納め続けたと言います。それだけでは無く、ビートたけしが一人暮らしをしているアパートの大家さんに『たけしが家賃を払えなくなったら・・・私に請求して下さい』と言っていたようです・・・母親の偉大さが分かりますね・・・涙腺崩壊レベルですね・・・(泣)
ビートたけしがお笑い芸人を目指したきっかけは『反骨心』からと判明!?
ビートたけしがお笑い芸人を目指したきっかけは『反骨心』だったと言われています。大学を中退後は、『浅草フランス座』でエレベーター番のアルバイトをし始めたようです!!
その頃から、ビートたけしは深見千三郎に弟子入りしていたようです。師匠からは『タップダンスでも習っておけ!!』と言われ、レッスンを受けていた事もあるようです!!
ビートたけしの芸人としての転機は、フランス座で代役で舞台に立った事だったようです!!ハプニングで爆笑をさらった事で、偶然とは言え『お笑い芸人』としてやっていく覚悟が決まったと言います!!
更に、先輩芸人が大して面白くもないのに『高級車に乗っている事』に腹が立ったと言い、『芸人として大成してやる!!』と覚悟を決めました!!反骨心の塊だったのでしょうね!!そして、ビートきよしとコンビを組み、スターになっていきました!!
そして、歳を重ね『お坊ちゃま系イケメン』から『狂気染みた色気をまとったイケメン』となったわけですが・・・衝撃的な事故により一変してしまいました!!
その激変ぶりがヤバすぎて見られない程だと言います!!その詳細について見て行きましょう!!
ビートたけしの事故前と事故後の激変がヤバい!
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ビートたけしは、『フライデー襲撃事件』に芸能界復帰を果たし、その後は映画監督などで自身の才能を開花させ始めました。
ですが、女癖の悪さは治る事は無く愛人を作り週刊誌でリークされる事が度々ありました。
そんな中でビートたけしの人生を一変させる出来事が起こりました!!
1994年8月2日に東京都新宿区の安鎮坂付近をバイクで運転中に、カーブを曲がりきれずにガードレールの鉄柱に激突し生死の間を彷徨いました・・・・・・。その当時の週刊誌では、『事故現場は血の川』と報道され世間を震撼させました。
事故当日は、当時愛人関係にあった『細川ふみえ』に会いに行く途中だったとも言われており女癖の悪さも健在でした・・・・・・(笑)
近年、ビートたけしは当時を振り返り、『うつ状態だった!』と語っており、私生活を含め、監督作品がヒットせず悶々としていた事で事故が起こった可能性を示唆しています。
事故の約60日後に、奇跡的に退院する事が出来たようですが・・・・・・・退院記者会見でのビートたけしの激変ぶりに世間は驚愕しました・・・・・・・・。
事故の後遺症で、顔面マヒが残り大きく顔が歪んでしまいました・・・・・・・・上の写真を見ると別人なのでは無いかと思える程です・・・・・・・・事故の凄惨さを物語っていると思います・・・・・・・・(汗)
更に世間を驚かせたのは、退院記者会見でのビートたけしの毒舌・自虐発言でした。
顔面マヒが治らない可能性もある事を明かし『治らなかったら、芸名を顔面マヒナスターズにします』『(事故は)軍団がブレーキに仕掛けしたんじゃないかと思ってるんだ」』『頭に入っているボルトのせいで金属探知機に引っかかる』などと発言し、自身をネタに事故を笑いに昇華させてしまう芸人魂に世間は驚愕したと言います・・・・・・(笑)
現在も、顔面マヒの後遺症を引きずっているように見える事がありますが・・・・・・違和感をあまり抱く事無くお茶の間を楽しませてくれるビートたけしには脱帽するばかりです!!
様々な人生経験を積み、容姿だけでなく生き方自体がイケメンであると最近のビートたけしを見ていると筆者は感じます!!
年齢的にも高齢になっていますが、今後もお茶の間や映画で世の中を元気にしてくれる事を願っています!!
まとめ
・ビートたけしの『おぼっちゃま系イケメン時代』はツービートでブレイクした頃である事が判明!!
・ビートたけしは『明治大学工学部』に入学している事が判明!!芸人として売れるまでは女性にモテず意外にも一途な男子であった事が判明!!
・ビートたけしの『狂気染みた色気をまとったイケメン時代』はフライデー襲撃事件を起こした頃である事が判明!!
・ビートたけしはバイク事故により顔面マヒの後遺症を負う事になり『容姿が激変』したが『芸人』としてのスタンスを崩さずに自虐ネタで笑いにする辺りにプロ意識を感じるのと同時に男気を感じられる!!
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