大崎洋会長の若い頃はボンクラ・無能なサーファーお荷物社員だった!?仕事のブレイクスルーが『麻雀』!?

吉本興業の会長で、闇営業問題で御家騒動が起こり一躍時の人となった大崎洋。

 

大崎洋会長の若い頃について調査してみると、現在の成功とは裏腹に『ボンクラ』で『無能』なお気楽サーファーだったというのです!!更に、会社では『お荷物社員』という衝撃的な事実も明らかになりました!!

 

そして、現在の出世街道を突き進む『ブレイクスルーポイント』も異常過ぎると言われています!!

 

今回は、そんな大崎洋会長の『若い頃』を徹底解剖していきたいと思います!!

 

では、張り切って見ていきましょう!!

 

大崎洋のプロフィール

 

 

生年月日:1953年7月28日

出身地:大阪府堺市

血液型:不明

 

大崎洋会長の若い頃はロン毛のサーファーだった!?衝撃写真公開!?

 

大崎洋の若い頃について調査してみると、なかなかチャラついた過去が判明しました!!若い頃の写真がありましたので掲載しておきます!!

 

 

たしかにチャラついてますね・・・ロン毛にしてる辺りは時代を感じますが・・・(笑)ロン毛である理由は、どうならサーファーだった事からロン毛を貫いていたと言います!!

 

 

チャラついていますが・・・決してイケメンではないですね・・・どことなく『東京03・角田』に似ていると思えてしまいます・・・(笑)顔と髪型が不釣り合いで、少々コント感が否めませんね・・・(笑)

 

大崎洋会長は若い頃、ボンクラ無能なお荷物会社員だった!?ブレイクスルーポイントは『麻雀』だった!?

 

 

そんなチャラついていた大崎洋ですが、若い頃は見た目同様に仕事に対してもチャラついていて、無能な『お荷物社員』だったというのです!!

 

『えっ!?見た目だけじゃないの!?そんな人が今じゃ、とんでもない成功を収めとるやないかい!?』と思った方も多いのではないでしょうか?

 

大崎洋会長の若い頃の『素行』について詳しく見ていきましょう!!

 

まず、大崎洋会長が吉本興業への入社を決めた理由は『私服通勤可能』だった為、ただそれだけだったそうです…(笑)上記でも記載した通りサーファーだった為、私服出勤出来る企業を探していたようです。仕事前に海に行って、そのまま出社という流れだったのかもしれませんね!!

 

そんなチャラついた考えの大崎洋会長ですが、入社当初は仕事に対してやる気も無く、適当に毎日を過ごしていたと言います。

 

そんな大崎洋会長に転機が訪れたのは『麻雀』が関係しているようです!!

 

とある日、同期と徹夜で麻雀をしていた際、大崎洋会長のみが負け続けたそうです!!その状況が相当悔しく、朝方に雀荘の窓を開け、とんでもない一言を叫んだようです!!

 

『絶対に出世する!!!』

 

この一言を境に、大崎洋会長は人が変わったように仕事に明け暮れ、吉本興業のトップに躍り出ました!!同期に負けた事が相当悔しかったんでしょうね・・・ですが、キッカケが異常過ぎますね・・・(笑)

 

大崎洋会長の経歴を見ると、更に破竹の勢いで上り詰めた事が伺えます!!

 

1978年 吉本興業株式会社入社

1980年 吉本興業東京支社異動

2000年 株式会社ファンダンゴの取締役就任

2001年 吉本興業の取締役 株式会社アール・アンド・シーの取締役就任

2009年 吉本興業取締役社長就任

2019年 吉本興業代表取締役会長就任

 

転機が訪れたのは、1978年から1980年の間でしょうね!!

 

ちなみに『株式会社ファンダンゴ』は吉本興業の子会社で、ブロードバンドや携帯電話向けのエンターテインメントコンテンツの制作・配信、ブログサービス『ラフブロ』の運営を行なっていましたが、現在はないようです!!

 

たしかに破竹の勢いで、出世街道を爆進した事は明らかですね!!この原動力が『麻雀の負け』だったというのが衝撃的過ぎますね・・・(笑)

 

大崎洋会長の学歴は普通で面白味無し!?

 

 

では、大崎洋会長の学歴についても見て行きましょう!!

 

大崎洋会長の出身高校は『大阪府立泉北高校』で、偏差値は『60』で、2021年現在は大阪府内では『102位/544位』だと言います。それなりの学力がある高校を出ているんですね!!

 

大阪府立泉北高校を卒業後は、『関西大学社会学部』に進学しています。ちなみに社会学部の偏差値は『57〜60』程度のようです!!

 

社会人になりたての頃は、自堕落な生活をしていましたが元々はそれなりに優秀だったんですね!!大崎洋会長自身は学生時代に関しては、取り柄が無く勉強もスポーツも出来なかったと語っています!!

 

学問やスポーツなどの才能は無かったとしても、マネージメント能力、ずば抜けたコミュニケーション能力や芸人を見出す先見の明が備わっていたのだと思います!!だからこそ、現在の大崎洋会長の成功があるのだと感じます!!その才能を証明するのは『ダウンタウンとの関係性』を見れば明らかです!!

 

その点について詳しく見て行きましょう!!

 

大崎洋会長とダウンタウンの若い頃が壮絶でヤバい!?

 

 

大崎洋会長と言えば、ダウンタウンとの関係性が強いイメージを持つ方も多いのではないでしょうか?実際、闇営業問題で大崎洋会長が矢面に立たされた際、ダウンタウン松本人志は『会長が辞めるなら俺も辞める!』と涙を浮かべながら語ったのは印象深いのではないでしょうか?

 

では、大崎洋会長とダウンタウンは若い頃、どのような関係性だったのかについて見ていきましょう!!

 

大崎洋会長とダウンタウンは、仕事がない頃からの付き合いのようです。2人の仕事が無い駆け出しの頃は、映画館や銭湯などに連れて行くなど相当面倒を見たと言います!!

 

業界について何も知らない2人に、業界のイロハを全て教えたのは大崎洋会長だったようで、2人のマネージャー的な役割を果たしていたと言います。

 

2人に来る仕事も無い当時、大崎洋会長は2人に白紙のスケジュールを渡す事をせず、工夫を凝らしていたと言います。

 

白紙のスケジュールに『○月○日 大崎とコントの打ち合わせ』という風にネタ作りの時間を渡していたようです!!

 

3人は黙々とネタを作り続け、スターの階段を駆け上がって行きました!!ダウンタウンの2人のモチベーションを維持し、才能を開花させるまで面倒を見続ける大崎洋会長には脱帽してしまいます。

 

今の2人を形造ったのは、大崎洋会長だと言っても過言ではありませんね!!だからこそ、大崎洋会長にピンチが訪れると真っ先に松本人志は動くのでしょうね!!

 

大崎洋会長の『黒い関係』は若い頃に築かれたのか!?

 

 

大崎洋会長と言えば、『黒い関係』があるという噂がネット上で騒がれていますが・・・やはり、若い頃から反社との関わりがあったのでしょうか?そういった関わりがあったからこそ、現在の成功を手にしたのでしょうか?

 

その点について詳しく見て行きましょう!!

 

ダウンタウンが世に名を轟かせ、ブレイクスルーした頃から吉本興業やダウンタウンに反社組織が近づいて来るようになったと言います・・・。

 

当時、吉本興業はそんな組織に対しての免疫も無く、やり過ごす術も身に付いていなかったと言います・・・。大崎洋会長は、吉本興業と抱える芸人を守る為に矢面に立つ決心をしたそうです!!

 

吉本興業を反社組織から守る為、編み出した撃退方法は『ひたすら反社組織の人間と会って、とことん話を聞く』という仰天の方法でした!!

 

反社組織から電話があると『直接会って話をしましょう!!』と大崎洋会長は答えていたそうで、実際に会った際はひたすら話を聞き、『それは出来ません!!』と笑顔で粘り強く断り続けたようです。

 

そういう事情もある為、頻繁に反社組織の人間と会っていた為、マスコミから黒い噂がたったとも考えられます!!ですが、反社組織との接触は『全ては吉本興業を守る為』の防衛法だったという驚きの真相が明らかになりました!!

 

自分自身を危険に晒してでも、守りたいものがあるというのは『漢気の塊』だとも言えます!!本当の大崎洋会長は人情に熱い人間なのかもしれませんね!!

 

今後もお笑いの世界を盛り上げて欲しいものです!!

 

まとめ

・大崎洋会長の若い頃は、サーファーだった為ロン毛のチャラついた見た目だった事が判明!!吉本興業入社当時は、やる気が無く仕事も適当なお荷物社員だった事も判明!!

・大崎洋会長の仕事のブレイクスルーポイントは『麻雀での大負け』で、その後は破竹の勢いで出世街道を爆進した事が判明!!

・大崎洋会長とダウンタウンとの関係は、長い下積み時代を共にした事で硬い絆が芽生えた事が判明!!

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