『令和おじさん』として一躍脚光を浴びる様になった政治家・菅義偉。
菅義偉は普段から物静かで、『堅物』を絵に描いたような人物ですが・・・・・・・若い頃について調査してみると意外な事実が明らかになりました!!
それは、『菅義偉の若い頃は細マッチョ系空手家イケメン』だったと言うのです!!その詳細について、今回は徹底的に暴露したいと思います!!
更に、『生い立ち』と『性格』についても赤裸々に暴露していきたいと思います!!
では、張り切って見て行きましょう!!
目次
菅義偉のプロフィール
本名:菅義偉(すが よしひで)
生年月日 :1948年12月6日
出身地:秋田県湯沢市
議員区分 :衆議院
血液型 :O型
菅義偉の若い頃は細マッチョ系空手家イケメンと判明!
次期首相の最有力候補である菅義偉について、調査してみると驚きの事実が明らかになりました!!それは、若い頃が『イケメン』であったと言うのです!!
尚且つ、『細マッチョ系の空手家』だったと言います!!現在の容姿からは想像がつきません!!その噂の真相は一体どうなのでしょうか?
その点について、徹底的に暴露していきたいと思います!!
菅義偉の若い頃の写真公開で惚れてまうやろ!
菅義偉の若い頃について調査してみると、現在の容姿からは想像がつかない姿がありました!!
それが上の写真です!!坊主で目鼻立ちがキリっとしたイケメンである事が伺えます!!現在のヨボヨボなイメージとは程遠いものがあります!
どうやら、菅義偉は若い頃『空手』を習っていた事が明らかになりました!
上の写真は『空手部の仲間』と撮影したもののようですが、道着を着ていますが『筋骨隆々』である事が伺えます!!残念ながら、鍛え上げた肉体をとらえる事は出来ませんでしたが『細マッチョ』である事は間違いありません!!
出身大学である『法政大学』在学中に、空手部に入部し武道の道で心身を鍛えていたそうです!!現在のブレない政治家としてのスタンスは、この当時の修練で磨かれたのかもしれません!!
その証拠がありました。菅義偉は、『法政大学剛柔流空手道部』に入部し4年間アルバイトをしながら部活に励んでいたようです!!
『大学4年生のとき、私が主将で、菅は副将でした。温厚な性格でしたし、上からも下からも人望があった。まわりは、親元からの仕送りを受けていた学生が多かったけど、彼は『アルバイトをしないと食えない』と言って、4年間ずっと続けていました。 授業に出て、1日2時間半の稽古をして……。同期で4年時に二段を取ったのは、私と菅だけ。彼は小柄だったけど、けっこう強かったですよ』
同期が過去を回顧し、菅義偉の人物像と当時について語っていました!!2段という段位を得ている事も凄いと感じます!!
稽古内容も相当ハードだったようで『 “突き切り” などの基本稽古から、組手・型の練習。その後はランニング、道場で腕立て伏せと腹筋運動を100回くらい続ける筋トレ。 一緒に入部した15人は、卒業時に7人になった。とても厳しかったですよ。でも菅は、これと思ったらまっすぐ進む性格。彼は、相当な苦労人です。よくやったなと思いますね』
政治家としての粘り強さや打たれ強さは、大学時代の『空手部での経験が重要』だった事は明らかです!!更に現在でも、朝晩に腹筋を200回行う等、継続して物事をやり続ける人物である事も間違いなさそうです!!
菅義偉の生い立ちはお坊ちゃまだった!?
空手家として心身共に鍛え上げていた菅義偉ですが、生い立ちに関して調査してみると驚愕の事実が明らかになりました!!
それは、実家が裕福で『お坊ちゃま』だったのでは無いかと言われています!!その噂の真実について見て行きましょう!!
菅義偉の実家はイチゴ農園と判明!
菅義偉は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現在は湯沢市秋ノ宮)で生まれ育ちました。
実家は農家をしており、菅義偉の父親・菅和三郎は第二次世界大戦後に満州から引き揚げてきた事をきっかけに農家になったようです。
父親・菅和三郎は、イチゴ農家をしており『秋の宮いちご』のブランド化に成功し、『秋の宮生産出荷組合長』や『雄勝町議員』を務めるなど、地元では有名人だったと言います!!
そんな父親の元で育った菅義偉は、裕福まではいかないにしても『一般家庭に比べると豊か』だったと言います!その証拠に同級生が、当時を振り返っています!!
まあ貧しくはなかったでしょうね。当時、冒険王という月刊の漫画雑誌があって、義偉君の家にはそれが毎月配達されていました。冒険王を買ってもらえる子供なんて、一学年に二~三人いるかどうか。当時はそんな時代でした。
義偉君の家は小学校から直線で百メートルほどしか離れていませんでしたので、漫画を読みたい友だちが家の前で並んで待っていたのを覚えています。 (女性セブン)
地元の同級生にとっては『憧れの家庭』だった事は間違いありません!!当時の同級生から見れば『お坊ちゃま』のレベルと思われます!!
菅義偉の政治家への転身秘話がヤバ過ぎる!?
そんな裕福な家庭で育った菅義偉ですが、では『どのようにして政治家を目指す』ようになったのでしょうか?
菅義偉は1973年に法政大学を卒業した後に、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社しましたが、ひょんな事から『世の中を動かしているのは政治だ、人生をかけてみたい』と政治家を志したと言います。
しかし、当たり前ですが全くツテが無く途方に暮れていましたが・・・・・・・菅義偉は大学の学生課へ飛び込んでいき法政大卒OBの国会議員事務所に紹介を受け、小此木彦三郎元通産大臣の秘書として11年間勤めました!!
とんでもない執念と行動力ですね!!なかなか普通の人はここまでは出来ません!!
そして、1987年、菅義偉が38歳の時に横浜市議会議員選挙に出馬しました!!
現職は自民党の有力議員で、周囲から猛反対を受けるという「地盤」「看板」「カバン」なしの選挙は地獄のようだったそうです!!
しかし、菅義偉は諦めずに1日に300軒、選挙期間中に3万軒を歩き回り、その努力が実を結び見事当選しました!
現在の座右の銘である『意志あれば道あり』は、この経験を経て得たと言います!!凄すぎる人物ですね!!
横浜市会議員として2期を務め、自民党のエースとして活躍した後に1996年に衆議院議員総選挙に神奈川2区から出馬して初当選し、47歳という遅咲きでの国政デビューを果たしました。
菅義偉を語る上では『意志』という言葉がとても似合うと感じます!!
菅義偉の性格は控えめ過ぎて透明人間!?
菅義偉の生い立ち・政治家への転身について見てきましたが、では菅義偉の性格はどのようなものなのでしょうか?
これまで見てきた中で判明したのは『意志の力が強い事』です!意志の強さを物語る過去の逸話を紹介したいと思います!!
それは、中学時代に遡ります。中学時代は野球部に所属しており『バッティングフォームを直すように!』と監督から度々指導されたようですが『この打ち方が良い!!』と、3年間フォームを修正せずに過ごしたと言います!!
中々の意志の強さですね!!『頑固』と言い換える事が出来る程の意志力とも言えます!!
更に、菅義偉を語る上で欠かせないのは『縁の下の力持ち』だという事です!!生粋のNO.2気質なのでは無いかと言われています!!
その詳細について見て行きましょう!!
菅義偉は縁の下の力持ち!生粋のNO.2気質と判明!
菅義偉を語る上で欠かせないのは、『縁の下の力持ち』という事です!!
それは、安倍総理大臣との関係から見えてきます!!6歳年下の安倍総理大臣に対して主従関係を一切崩さなかったという事です!!
菅氏は安倍総理大臣の6歳年上だ。しかし総理執務室に入る際は「失礼します」と必ずあいさつするそうだ。
また安倍総理大臣が親しみを込めて「すがちゃん」と呼ぶのに対し、菅氏は、どんなときも「総理」と呼びかけ、主従関係を崩すことは絶対にないという。
幾ら年下と言えど、上下関係の中での優劣があれば、どんなことがあろうとも関係性を維持すると言えます。
大学時代の空手部時代も主将ではなく『副主将』という主将を支えるポジションにいた事からも『縁の下の力持ち』だった事が伺えます!!
ここまで見てきた事で『生粋のNO.2』である事は明らかであると思います!!
菅義偉のお茶目なギャグも総スカン!?
『真面目』で『頑固』な菅義偉ですが、時々身近な人にギャグを言う事もあるようですが、普段から口数が少ない為か周りに気付かれず総スカンを食らうようです・・・・・・・・総スカンと言うか、そもそもギャグを言ったと判断されていない可能性すらあります・・・・・・・・・(笑)
ですが、言う時は正論をぶつけ、とことん攻めるようです!!空気の様な存在でもありながら、更に尖る時はとことん尖るんですね!!
総理大臣になった暁には、どんな手腕で日本を牽引していくのか見ものです!!
まとめ
・菅義偉の若い頃は大学時代に『剛柔流空手部』に入部し心身共に鍛え上げた『細マッチョ系イケメン』だった事が判明!!
・菅義偉はイチゴ農園で成功した父親の元で生まれ育ち、裕福な家庭で育った事が判明!!
・菅義偉の政治家への転身秘話は『意志の力』が無ければ成し得なかった事が判明!!
・菅義偉の性格は縁の下の力持ちであり、性格は『頑固』だがお茶目な部分もある事が判明!!
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